「実母に甘えられなかったから、いまの人間関係がうまくいかない」と説明されることがあります。ただ、この結びつけ方は専門的な定義から離れた使われ方だと、研究者から指摘されています。この記事では、「愛着」という言葉が日本でどう受け取られてきたのか、理論そのものがどう修正されてきたのかを整理したうえで、いま確認できることと、できることをまとめます。
「愛着」と「アタッチメント」は同じではない
福島学院大学の内山登紀夫氏は、「『愛着』概念の普及と誤解:アタッチメント理論の本来と変遷を踏まえて」(乳幼児医学・心理学研究 2025年)で、この2つの言葉の違いを整理しています。
心理学でいうアタッチメントは、乳幼児が危機や不安を感じたときに、特定の養育者に接近し、身体的な接触を求めることで安全感を確保し、情動を調整しようとする一連の行動パターンを指します。生物学的な基盤を持つ行動システムという位置づけです。
一方、日本語の「愛着(あいちゃく)」には、「愛情」や「情愛」といった温かい感情、あるいは対象への強い「こだわり」「執着」といった意味が含まれます。論文は、翻訳の過程で行動システムや絆という意味合いより感情的な側面が強調されたことが、専門的な議論と一般的な理解の間に混乱を生んだ一因だとしています。
つまり、「甘えられたかどうか」という感情の記憶と、研究で扱われているアタッチメントは、同じものを指していません。
論文によると、仏教用語の「愛着(あいじゃく)」は「愛執」と同義で、欲望にとらわれて離れられない状態を指します。一般用語としても古くから使われていて、芥川龍之介や谷崎潤一郎の文章では、人ではなく事物への好感を示す文脈で出てきます。もともと日本語の「愛着」は、親子関係を指す言葉ではありませんでした。
一般の理解と、医学的な定義のずれ
同じ論文は、著者らが行ったインターネット調査をもとに、精神医学でいう「アタッチメント障害」と、一般の人が理解している「愛着障害」の認識のずれは大きいと報告しています。多くの人が「幼少期の親との関係が原因で生じる情緒的な障害」と捉えている一方、診断基準に近い「非常に劣悪な環境に置かれた子供に起きる障害」という理解は少数だった、という内容です。
精神医学の診断基準(DSM-5-TR)では、アタッチメントに関連する障害の診断に、次のような経験が必要とされています。
- 基本的な情動的欲求に対する持続的な無視
- 安定したアタッチメント形成を妨げるような、主たる養育者の頻繁な交代
- 選択的なアタッチメント形成の機会が著しく制限されるような状況での養育(例:極端に多数の子どもに対して少数の養育者しかいない施設)
論文は、「体調を崩しやすい」「嘘をつく」「大人を試す」といった行動は診断基準に含まれていないのに、そうした曖昧な記述とともに「愛着障害」が解説されている例があると指摘しています。
理論そのものが修正されている
アタッチメント理論を提唱したボウルビィは、1950年代の初期理論で、生後6か月から3歳頃までを形成の「臨界期」と考え、この時期の長期的な母子分離の影響は深刻かつ不可逆的だと主張していました。
しかし、この初期理論には批判が寄せられました。論文が挙げているのは次の点です。
- 依拠したデータが限られていた(劣悪な環境の施設で育った子どもの観察や、問題行動を持つ子どもの回顧的な調査に限られており、一般化の妥当性に疑問がある)
- 影響は必ずしも不可逆的ではない(施設で養育された子どもでも、養子家庭で安定した環境に恵まれると良好なアタッチメントが形成され、回復の可能性があることが示された)
- 養育者は母親1人とは限らない(子どものアタッチメントは複数の養育者との間にも形成され得る)
- 社会的な要因が考慮されていなかった(貧困や教育機会の欠如などの影響)
これらを受けて、ボウルビィ自身が1980年代にかけて理論を修正しています。臨界期という厳密な概念は緩められ、母子分離の影響も不可逆的とは考えなくなりました。代わりに、生涯を通じて変化しうる「内的ワーキングモデル」という概念を重視するようになった、と論文は説明しています。
いま一般に流布しているイメージは、この修正前の主張に近い形で広まっている可能性がある、というのが論文の指摘です。
極端な環境の研究を、一般の家庭に当てはめない
アタッチメントの重要性を裏づける事例として引用される研究には、施設に収容された子どもや、劣悪な環境で育った子どもを対象にしたものがあります。
論文は、これらについて「あくまで特殊で極めて劣悪な環境下での知見であり、一般的な家庭環境における子育てにそのまま当てはめて解釈することには慎重でなければならない」と述べています。
「甘えられなかった」という記憶は本人にとって実際のものですが、それを極端な養育環境の研究と同じ枠で説明することはできません。
母親の責任に帰されやすいという問題
論文は、支援の現場で起きている問題として、「愛着の問題」が短絡的に「母親の愛情不足」や「母親の育て方の問題」に帰責されやすい点を挙げています。これは母親に過剰な罪悪感やプレッシャーを与え、かえって養育環境を悪化させる危険性があるとしています。
歴史的に見ても、日本の伝統的な子育てで育児を母親1人が担うのが当然とされていたわけではない、とも書かれています。
この点は、悩んでいる側にとっても関係があります。原因を1人に求める形にすると、その後にできることが見えなくなります。論文が支援において必要だとしているのは、生物学的要因・心理的要因・社会的要因から多角的に捉える視点です。
「支援」の名前で無理を求めない
論文は、アタッチメントの誤解から、支援する側が保護者に実現困難な要求をしてしまう場合があることも問題として挙げています。例として挙がっているのは次のような助言です。
- 「常に子どもの要求に応えなさい」
- 「スマホを見るのをやめなさい」
- 「3歳までは仕事をやめて育児に専念しなさい」
こうした助言は保護者を疲弊させ、支援者との関係を損なう可能性がある、とされています。ボウルビィ自身が晩年に修正した考え方とも乖離しているという指摘もあります。
これは、自分自身に向ける要求についても同じことが言えます。「もっと親を許さなければ」「過去を受け入れなければ」といった形で自分に課題を課すと、達成できない状態が続きます。過去の解釈を変えることを目標にしなくても、いまの関わり方は変えられます。
「気を遣いすぎる」をどう扱うか
人に気を遣いすぎる、頼れない、断れない。こうした傾向を、幼少期の経験だけで説明できる調査はありません。ただ、いま起きていることとして扱うなら、手をつけられる部分があります。
- 特定の相手・場面に限られるか確認する(誰に対してもなのか、職場だけなのか、家族だけなのか)
- 断ったあとに何が起きたかを記録する(予想していたことと、実際に起きたことを並べます)
- 相手の反応を、自分の評価と切り離す(断られた側の機嫌は、その人の事情にもよります)
場面が限られているなら、性格の問題ではなく、その関係の問題である可能性があります。全部を自分の内面の話にすると、変えられる部分が見えなくなります。
いま確認できること
過去の親子関係を変えることはできませんが、現在の状態については調べられている数字があります。
内閣府「孤独・孤立の実態把握に関する全国調査(令和7年)」(2025年12月1日現在・有効回答11,873人)では、孤独感が「しばしばある・常にある」と答えた人の割合に、次の差が出ています。
| 区分 | いる | いない |
|---|---|---|
| 気軽に話せる相手 | 2.5% | 25.0% |
| 相談相手 | 2.5% | 23.4% |
| 頼れる人 | 2.7% | 25.1% |
この調査は過去の親子関係を聞いているわけではないので、そこから因果を読み取ることはできません。ただ、いまの時点で話せる相手がいるかどうかは、確認できる項目です。
できること
相手との距離や関わり方について、いまの自分が決められる部分があります。
- 頼る練習を小さい単位で始める(重い相談からではなく、道を聞く、手伝いを頼むといった範囲から)
- 話せる相手を1人に集中させない(1人に全部を求めると、その関係の負荷が大きくなります)
- 断る練習をする(気を遣いすぎる状態が続いているなら、断れる関係かどうかを確かめる意味もあります)
- 親との距離は、いまの都合で決めてよい(連絡の頻度、会う回数。過去の関係に合わせ続ける必要はありません)
厚生労働省の「こころの耳」は、相手の気持ちや考えを尊重しながらも、自分の気持ちや考えをその場に適した表現で伝えるコミュニケーション方法を「アサーション」と呼んでいます。我慢して言わないのも、強く言って押し切るのも、この形からは外れます。
親との関係をどうするか
いまも親との関わりが続いている場合、距離の取り方に決まった正解はありません。判断の材料になるのは、いまの自分の状態のほうです。
- 会ったあとに数日引きずるなら、頻度を減らす(我慢して続ける形にしない)
- 連絡手段を選ぶ(電話がつらいなら文字にする、という調整はしてよい範囲です)
- 話す内容を決めておく(近況だけにする、過去の話はしない、と決めておくと消耗が減ります)
- 期待の水準を下げる(いまから謝ってもらう、理解してもらうことを条件にすると、関係が止まります)
関係を切ることも、続けることも、どちらも選択肢です。周囲から言われる「親なんだから」という言葉を、判断の基準にする必要はありません。介護や相続など、現実的な手続きが関わる場面では、距離の取り方とは別に確認しておくことがあります。
相談先
気分の落ち込みや睡眠の問題が続いている場合は、話し方の工夫の範囲を超えていることがあります。厚生労働省は、こうした症状が2週間以上続く場合には「うつ」が疑われるとして、専門家(精神科、心療内科)に早めに相談することをすすめています。
自治体の相談窓口や、厚生労働省の「こころの耳」の電話・SNS・メール相談も使えます。
まとめ
- 「愛着」と「アタッチメント」は同じではない。翻訳の過程で感情的な側面が強調され、混乱が生じた
- 一般の理解と医学的な定義はずれている。「幼少期の親との関係が原因」という捉え方が多い一方、診断基準に近い理解は少数だと指摘されている
- ボウルビィ自身が理論を修正している。臨界期は緩められ、影響も不可逆的とは考えなくなった
- 極端な養育環境の研究を、一般の家庭にそのまま当てはめない
- いま確認できるのは、話せる相手がいるかどうか。相手がいない人では孤独感の割合が10倍になる(因果は示されていない)
情報源:内山登紀夫「『愛着』概念の普及と誤解:アタッチメント理論の本来と変遷を踏まえて」乳幼児医学・心理学研究 34(1): 40-45(2025年)、内閣府「孤独・孤立の実態把握に関する全国調査(令和7年)調査結果のポイント」、厚生労働省「こころの耳」用語解説「アサーション」・ストレス軽減ノウハウ
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